橋本頼蔵(一七五〇年~一八〇八年)
江戸時代に行われた清糸川造成工事の代表者。近くの阿月川から水を引くことで一帯に豊かな水をもたらし、農業の発展に大きく貢献した。現在は水岩寺に埋葬され、境内に銅像が建っている。
(「わたしたちの清糸町」32ページより)
「これから総合学習の時間では、私たちの住む清糸町について学習します。班ごとに新聞を作って発表してもらうので、まずはテーマを決めてください。」
担任の島田先生が言うと、四年二組の教室に机を動かす音が響きわたる。私たち四人も机をくっつけて顔を合わせた。
「何か意見のある人!」
班長のさらちゃんが元気よく口火を切る。
「何でもいい。」
いつもやる気がないのが砂川くんで、「ぶっちゃけあんまり興味ないよな!」と遠慮なく言うのが大ちゃんだ。
「もー、ちゃんと考えてよね。くみちゃんはどう?」
さらちゃんが私に尋ねる。特に調べたいことはないけれど、何か意見を言ったほうがよさそうだ。手もとの「わたしたちの清糸町」を適当に開いたら、橋本頼蔵の名前が目に入った。
「橋本頼蔵について調べてみるのはどうかな?」
開いたページには水岩寺にある銅像の写真が載っている。黒い台座に胸から上が載っかったもので、和服を着てあごひげを生やしているのが特徴だ。
「そうだ、この銅像を見に行こうぜ。」
大ちゃんが言うと、砂川くんが「そういえば!」と珍しく大きな声を出した。
「水岩寺っておばけが出るって聞いたことある。」
私は思わず笑ってしまった。おばけなんているんだろうか。さらちゃんも「おばけねえ。」と信じていないような声を出す。
「おもしれーじゃん! 放課後みんなで行ってみよう。」
大ちゃんの勢いにつられ、私たちは水岩寺に行くことになった。
軽い気持ちで集まったのはいいけれど、橋本頼蔵の銅像は水岩寺の中でもだいぶ山の上の方にあることが分かった。
「まだ階段がある!」
さらちゃんが息を切らして言う。最初のうちは段を数える余裕があったけれど、今はただひたすら上るだけだ。
「おばけはどこにいるんだよ。」
「昼間は出ないのかも。」
大ちゃんと砂川くんの会話を聞きながら階段を上る。十五分ぐらい歩いて、ようやく砂利が敷き詰められたスペースに出た。
「橋本頼蔵だ!」
銅像を見つけた私は思わず声を上げた。感動の再会みたいな気分だった。
「すげえ、いい景色!」
大ちゃんの声に振り返ってみると、清糸町が一望できた。住宅地を横切る形で清糸川が流れている。
「ようこそお越しくださった。」
どこからともなく男の人の声がした。四人以外には誰もいないはずなのに。これはまさか......。
「おばけ!?」
さらちゃんが叫ぶように言う。
「おばけとは失礼な。」
銅像の後ろから和服姿のおじいさんが顔を出した。あごには白いひげが生えている。
「もしかして、橋本頼蔵!?」
大ちゃんがひらめいたように人差し指を立てると、おじいさんは「ピンポーン。」と笑った。
「いやはや、小学生がここまで来るのは久しぶりだ。最近の子どもは全部パソコンで調べてしまうんだろう?」
何だかとても怪しい。私たちは輪になり、「パソコン?」「うちパソコンない。」「ていうか本物?」「やっぱりおばけじゃん。」とこそこそ話し合う。
「おじいさんは何年生まれですか?」
意外にも砂川くんが質問した。
「わしか? 寛延三年の生まれだが。」
大ちゃんが「すげえ!」と目を丸くする。
「今でもパソコンは使われていますが、私たちはスマホやタブレットを使うことが多いです。」
さらちゃんがナップザックからタブレットを取り出し、「かんえん3年」と検索した。
「寛延三年は一七五〇年......橋本頼蔵が生まれた年と同じだ。」
「すごいな、その板で何でも分かるのか?」
橋本頼蔵がさらちゃんのタブレットをのぞきこむ。
「たいていのことは調べられますけど......例えばどんなことを知りたいですか?」
「明日の天気だな。」
さらちゃんは早速天気を調べ、太陽のマークが並ぶ画面を橋本頼蔵に見せた。
「明日は一日晴れるそうです。最高気温は二十八度。」
「ほう、こりゃ便利だ。雨がひどいときは作業を休みにしていたのだが、前もって分からないからたいへんだった。」
橋本頼蔵は腕組みしてうなずいた。
「作業って、全部手作業だったんですか?」
さらちゃんが質問する。
「そうだ。たくさんの人が集まり、道具を使って土を掘っておった。君たちぐらいの子どもも、ときどき土を運ぶのを手伝ったものだ。」
大ちゃんが「今の時代に生まれてよかった!」と声を上げる。
「その代表をしていたなんて、すごいですね。」
私は思ったことをすなおに伝えた。きっとみんなから頼られる、立派な人だったのだろう。
「ああ、そのことだが......。わしが代表ということになっているが、そんなにたいそうなものではないのだ。」
四人の「えっ?」の声が重なる。
「わしはただの大工だったんだ。近所の農民たちが『水がなくて困っている。』と嘆くのを聞き、『それなら阿月川から水を引いたらどうだろうか。』と冗談で言ったら、周りがその気になってしまって......。」
橋本頼蔵は照れくさそうに頭をかいた。
「結局わしがまとめ役となって藩に申し入れ、作業を進めて水を引くことに成功した。その働きが認められて名字を授けられたのだが、うまくいったのは集まってくれた人々のおかげだ。だからわしだけ銅像が建つなんて申し訳ないのだよ。」
銅像になった人の気持ちなんて、なかなか聞けないから新鮮だ。
「でもきっと、みんな頼蔵さんに感謝してると思います!」
大ちゃんが言うと、橋本頼蔵は目を細めた。
「それはよかった。時代はずいぶん変わってしまったが、わしは毎日ここから清糸川の流れをながめておるよ。」
新聞にはタブレットや本で調べた清糸川の成り立ちに加えて、橋本頼蔵のインタビュー記事を載せた。発表ではインタビューを実演することになり、さらちゃんと私がインタビュアー役、大ちゃんと砂川くんが橋本頼蔵役をやった。
「どうして清糸川を造ろうと思ったんですか?」
「もともとは冗談で言ったのだが、周りがその気になってしまって......。」
「それが成功したんですからすごいですよ!」
実際のやりとりに加えて、私たちの感想も入れている。発表が終わると、クラスのみんなから拍手が送られた。
「橋本頼蔵にインタビューするという発想がとてもよかったです。江戸時代の人が身近に感じられますね。」
島田先生はほめてくれたけれど、まさか私たちが本人に会ったなんて思っていないだろう。橋本頼蔵に会ったのは四人だけのひみつだ。
その日の放課後、私たちは再び水岩寺を訪れた。一度目の訪問では途中でへとへとになっていたけれど、二度目はゴールが分かっているからがんばれた。
橋本頼蔵の銅像は、最初に見たときより親しみやすいおじいさんに見える。
「頼蔵さーん!」
大ちゃんが大きな声で呼びかけてみたけれど、返事はない。
「今日はいないみたいだね。」
砂川くんが言う。だけど私は何となく、二度と会えない気がした。
「発表、うまくいきました。ありがとうございます。」
さらちゃんが銅像に向かって言う。私もそれに合わせて「ありがとうございます。」と頭を下げた。
「あれ、この銅像、ちょっと笑った?」
「えー、気のせいでしょ。」
大ちゃんと砂川くんのやりとりに笑いながら後ろを振り返る。橋本頼蔵が造った清糸川は、今日もおだやかに流れている。
宮島未奈
作家。著書に「成瀬は天下を取りにいく」「成瀬は信じた道をいく」「それいけ!平安部」などがある。