ぼうけんと科学者の間に

すがぬまゆうすけ

 小学生のころ、冒険とかたんけんという言葉が好きだった。そして、「冒険」に出かけると言っては、友達と連れ立って近所の川やうらやまへと出かけた。それは小学生のぼくにとっては十分な冒険だった。
  中学生になると部活がいそがしくなり、近所の探検はあまりできなくなった。そのかわり、冒険や探検の本をたくさん読んだ。最初はちゅうたいにしたエスエフが好きだったのが、そのうち昔の冒険家や探検家が書いたものを読むようになった。
  特にうえむらなおという冒険家の本をよく読んだ。植村直己は登山家として有名になった後、北極とかグリーンランドのような氷の大地を冒険するようになった。最後はデナリ(当時はマッキンリー)というアラスカの山でそうなんしてしまったけれど、だいな冒険家だった。
  ほかにもたくさんの冒険の本を読むうちに、僕もいつか南極や北極で冒険や探検をしてみたいと思うようになった。
  地元の高校から関東の大学に進んだ僕は、国内だけでなく海外まで出かけて冒険的なことをした。いちばん大きなチャレンジは、大学を一年休んでカナダとアラスカを旅したことだ。十九さいになった僕は、初めて乗った飛行機でカナダのバンクーバーにった。そして、自転車やヒッチハイクでカナダ南部をしばらく回った後、北を目指した。ユーコン川というカナダからアラスカに流れるとても長くて大きい川をカヌーに乗って一人で下るのだ。
  じっさいに見たユーコン川はとても大きく、そしてほっきょくけんを流れるだけにとっても冷たかった。カヌーにテントや食料を積んでこぎ出した僕は、ユーコン川の河原かわらでキャンプをしながら数百キロを旅した。ひょうけずった山々、寒冷な気候で育つ細い木々、ネイティブ・アメリカンのはいそん、初めて見る景色が川の流れに乗る僕の横をとおぎていく。僕の川旅は、ちゅうでクマにキャンプをらされたりしてこわい思いもしたけれど、まさに大冒険だった。
  けれども、日本に帰ってきた僕は改めて思った。冒険家にはなれそうもないな、と。僕の旅には新たな発見はなかったし、植村直己ほどとんでもない目にもあっていない。
  そのかわりに、旅先でたくさんのいろいろな風景を見るうちに、地球の成り立ちや、おんだんで地球のかんきょうが変わっていくことにきょうを持った。そして、僕が旅した北極圏や、さらに地球の反対にある南極は、地球の環境を知るうえでとても重要な場所だと知った。特に南極の氷(ひょうしょうとよぶ)が温暖化でけると、その水が海にながんで世界の海面をじょうしょうさせたり、海流を大きく変えることで世界の気候にえいきょうあたえたりするらしい。けれども、南極の氷床が融ける仕組みやスピードはよく分かっていないようだ。
 僕は今、「南極を研究する科学者」になった。毎年のように南極に出かけて、岩や氷の上を調ちょうして、南極の氷床がどうやって融けるのか、地球環境がどのように変化するのかを調べている。
  冒険家でも、つくえの上や実験室だけで研究をする「みんながそうぞうするような科学者」でもないけれど、冒険家と科学者の間に、僕にぴったりの場所があったみたいだ。

すがぬまゆうすけ

しつがくしゃ。国立極地研究所せんたんけんきゅうすいしんけい きょうじゅちょしょに「ぎゃくてんと「チバニアン」」がある。

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