「木星の『月』噴火中」
その頃、私は中学生でした。ある日、何気なく家の郵便受けから引っ張り出した新聞に、こんな見出しが躍っていました。掲載されていたのは、まるで雨傘のような形に物質を噴き上げている木星の衛星イオの写真。地球以外の天体で、実際に火山が「噴火」していることを示す初めての観測結果でした。その後も宇宙探査機から送られてくる魅力いっぱいの画像は、「土星のリングはレコード盤」、「天王星 ピンクのかすみ」といった見出しとともに、私の心をとらえて放しませんでした。一九六五年生まれの私は、昨日まで誰も知らなかった太陽系の姿が発見されていく時代に居合わせ、宇宙を知る喜びを学校の友達と分かち合うことができました。
私たち人間は絶えず発見を続けてきました。地球が太陽の周りを回っているという地動説を、学者が説得力をもって唱えたのは、四百年少し前から。生き物は進化し、ヒトはサルの仲間から生まれてきたということが信じられるようになったのは、百五十年前のことです。九十年前には、ほとんどの人たちは、大陸が移動しているということを信じられませんでした。大きな隕石が地球に衝突したことが恐竜絶滅の一因であるという説が証拠とともに登場するのは、四十年ほど前の、私が高校生のときのことです。
次から次へと発見を積み重ねてきた私たち。宇宙、地球、生き物、そして自分たち人間自身について、未知の真実を見つけ出し、古い考えが誤っていることを指摘し、謎を解き明かしながら新しい理論を築いてきたことが分かります。この営みこそ、まさに「科学」です。私たち人間は、科学という、真実を探る熱意と楽しみを、心に携えた存在なのです。
みなさんは、図鑑を見て、本を読んで、授業を受けて、友達と議論をして、宇宙や自然や人間のことを知ろうとすると思います。その気持ちを「好奇心」といいます。好奇心こそ、科学の原動力です。好奇心に導かれて「知る」ことに挑戦していけば、もうみなさんは科学者の仲間入りをしています。難しい理屈や細かい知識は、いずれ必要な場面で学んでいけばいいのです。それよりも、今、目の前にある事柄について、本当のことを探りたいと思ううきうきした気持ち、「好奇心」を大きく膨らませてほしいと願います。
科学の成果は私たちの知識と考え方を増やし、文化を育てます。たとえばヒトがサルから進化したことを知った人間は、自分たちをそれまでよりもちっぽけな弱い存在だと感じるように変わったと思います。それが、科学がもたらす文化の豊かさです。
困ったことに、世の中に「科学は人の役に立ち、暮らしを便利にし、国を富ませ、社会のお金を動かす」という、ひどい勘違いがはびこっています。技術や機械や道具は、確かに人の役に立つでしょう。でも科学それ自体は、好奇心をもって人間や自然や宇宙を知ることへの挑戦であって、便利な生活やお金を動かす社会を実現することとは違います。恐竜の絶滅の原因が新しく見つかったところで、国は富みません。地球を中心に宇宙が回転していることを否定したところで、会社がもうかるわけではありません。木星の衛星が煙を上げていようがいまいが、暮らしの便利さに変わりはないのです。
科学は、そんなことのためにあるのではありません。科学とは、謎を掘り下げ、証拠を探し、口から泡を飛ばして議論して、説得力のある新しい理屈に近づいていくことです。そして、私たちは、たどり着いた新しい真実を広めていきます、世界のたくさんの人々に、もちろん子供たちにも。真実をつかみ、それをみなで楽しみながら受け継いでいくこと。それこそが、人間にしかできない、人間が決して忘れることのない、人間の最も人間らしい営み、「科学」なのだと、私は信じています。
木星の衛星を観測した惑星研究者たちや、進化理論を確立していったチャールズ・ダーウィンや、地動説のために戦ったガリレオ・ガリレイ。こうした科学者たちの足跡を見つめながら、私は毎日を過ごしてきました。いつからか自分の研究分野は動物の解剖学に定まりました。でも、私の生涯は、常に、あらゆることを知りたいというわくわくする気持ち、「好奇心」とともにあります。小学生、中学生、十代二十代のときに育んだ好奇心を支えに、私は今日も科学者を生きています。
遠藤秀紀
解剖学者。東京大学総合研究博物館教授。著書に「見つけるぞ、動物の体の秘密」、監修書に「ペンギンの体に、飛ぶしくみを見つけた!」など。