初めまして、翻訳家の三辺律子といいます。早速ですが、「翻訳」ってどんなイメージですか? 皆さんの中にはもう、学校で英文を日本語にする勉強をしている人もいますよね。
では、いきなり問題。次の文を訳してください。
" Yes, I know. "
何だ、簡単って思ったかたも多いですよね。「はい、私は知っています。」これで、試験なら合格です。でも、「翻訳」だと? 日本語で「私は」と書いてあったら、話し手は女の子だと思う人が多いかもしれません。もし男の子なら、「僕は」にする? でも、同年代どうしの会話だったら? 「ああ、俺、知ってるよ。」とか? 昔の超お嬢様だったらどうでしょう? 「ええ、わたくし、知っておりましてよ。」なんて言うかもしれません。じゃあ、千年生きている大魔法使いは? 「そうじゃ、わしは知っておるぞよ。」では、王様。「ふむ、余は知っておる。」家来。「ははあ、拙者は存じておりまする。」クレヨンしんちゃん。「うん、オラ、知ってるゾ。」(たぶん)。
つまり、同じ「Yes, I know.」でも、いろいろな訳し方があるということですね。これは、日本語学者・金水敏さんの「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」という本に載っていた問題をアレンジしたものなのですが、日本語には、この例のように話し手の年齢や性別、仕事、時代、性格などを想像させる言葉遣い(役割語)があります。分かりやすいのは、「私」「僕」「俺」「わし」「おいら」「うち」などの一人称代名詞でしょう。「僕」と「ぼく」と「ボク」だって、受ける印象が違いますよね。
ですから、物語を翻訳するときは、時代や舞台などの設定、登場人物の年齢や性格、誰と話しているか(目上の人だったら丁寧になりますよね)などを考えながら、せりふを訳していくことになります。
それだけではありません。例えば、私の訳した「パンツ・プロジェクト」(キャット=クラーク・著)という本には、体は女の子で、心は男の子の中学生リブが登場します。リブの一人称を訳すときは、悩みました。英語の「 I 」に性別は関係ありません。「私」? でも、自分を女の子だと思っていないリブは使わなさそう。かといって、「僕」や「俺」にも違和感はあるし......。結果として、私は「一人称代名詞は使わない」という方法を取りました。つまり、「うん、私(僕)、知ってる。」の代わりに、「うん、知ってる。」と訳すという意味です。日本語は主語を省略することが多いので、それでも何とか訳せました。リブの「自分は女の子ではない」という気持ちをくんだ翻訳になっているといいなと思います。
翻訳にはほかにも考えなければならないことがたくさんあります。例えば、映画の字幕。あまり長いと、時間内に読みきれませんし、かといって、省略しすぎたら、ストーリーが分からなくなってしまいます。ですから、そのせりふの発せられた意味をよく考えて、スペースに収まるよう翻訳しなければなりません。だから、映画「タイタニック」の
" I'm the king of the world!"「世界は俺のものだ!」
なんていう名訳も生まれるのでしょうね。
どうでしょうか? これから外国のものを読んだり見たりするとき、翻訳にも少し注目してみてください。おもしろい発見があるかもしれません!
絵・北住ユキ
三辺律子
英米文学翻訳家。訳書に「かわいい子ランキング」「エヴリデイ」などがある。