「金太、おい、金太。」
呼びながら、何度も体にふれる。そのたびに、金魚の金太はぴくぴくと背びれをゆらし、苦しそうに口を動かした。だけど、またすぐに動かなくなる。
もうだめだ......。
やがて、金太は、ぴくりとも動かなくなってしまった。
昨日、お母さんにしかられて、久しぶりに水槽を洗った。ガラス面にこけが生え、ポンプもぬるぬるになっていた。
でも僕は、友達との約束があったから、丁寧になんか洗わなかった。ちゃちゃっとやって、それでおしまい。
そしたら、今朝、金太は水槽のいちばん上でぷかぷか横になって浮かんでいた。
あっと思って調べたら、水槽に空気を送るポンプのスイッチが切れたままになっていた。洗った後で、入れるのを忘れてたんだ。
あわててスイッチを入れたけど、もう、手遅れだった。
「あーあ。しんじゃった。」
弟の優介が、水槽をのぞいてつぶやいた。優介はまだ小さいから、たぶん、死ぬってことが分かってない。
「すてる?」
「捨てねえよ!」
分かっていても、能天気な優介の言葉にかちんとくる。
「おにいちゃんが、おこったあ。」
優介はべそをかきながら、キッチンへ走っていく。ちぇっ。
「お墓、作ってあげようね。」
お母さんが、優介と話している声が聞こえる。
「おはか、おはか。」
何だか楽しそうな優介に腹を立てながら、僕はのろのろと動きだす。
庭に穴をほり、金太を土の上に置いた。
何だかとっても苦しそうな顔に見える。
そうだよな。息ができなくて死んだんだもん。ごめん金太。
心の中で謝りながら、ゆっくり土をかけていく。優介がじょうろを持ってきて、金太のお墓に水をやり始めた。
「おおきくなあれ、おおきくなあれ。」
「花の種じゃないの。 金太は死んだの。」
僕が言っても、優介はやめない。
「おおきくなあれ、おおきくなあれ。」
優介の歌うような声が、庭に響いた。
そして。
次の日、本当に芽が出ていた。
まさか。偶然だ。そのへんの雑草の芽が出たに決まってる。
「きんたのおはな、おおきくなあれ。」
優介が、また水をやる。
どうしよう。本当に金太の花が咲いたりしたら。畑のトマトみたいに、金太がたくさんなったりしたら。
のんびりした優介の声とは反対に、僕は動けなくなる。
その日から、金太のお墓の芽は、ぐいぐいと大きくなった。小さかった葉が地をはうように何枚も広がり、その中央の細い茎が、少しずつ背をのばしていく。
やがて、茎の先がぷっくりとふくらみ、ほんのりとオレンジ色になってきた。
金太の花のつぼみ。
もし本当に金太が出てきたら......。
苦しそうに口をぱくぱくしていた金太。黒い目が半分くさったみたいに白くなっていた金太。最後は、ただ横になって、ただようだけだった金太。
僕をうらんでいるだろう。おまえのせいだって、怒っているだろう。金太の花が咲いたら、きっと僕をにらむだろう。もしかしたら、呪いの言葉を吐くかもしれない。
「おおきくなあれ。おおきくなあれ。」
優介が、楽しそうに水をやる。
「......やめろよ。」
「いやだ。」
「やめろってば。」
僕は、優介のじょうろをうばい取って放り投げると、庭から飛び出した。
金太は、一年前のお祭りですくった金魚だ。
とてもかしこくて、えさの準備をしていると、僕のそばへ寄ってきた。お父さんやお母さんがえさをやっても知らんぷりだったのに、僕のときだけそばに来た。スナック菓子をやったら、一度口に入れてぺっと出す、味の分かる金魚だった。
お父さんにねだってポンプ付きの水槽を買ってもらった。最初は水槽を洗うのが楽しかったのに、だんだんめんどくさくなった。重いし、冬は冷たいし。そのうち、ふんが水中に浮いていても、ガラス面にこけが生えても、気にならなくなっていった。
死んだのは、たかだか金魚じゃないか。お父さんやお母さんが死ぬのとはちがう。犬や猫が死ぬのともちがう。もっと小さい生き物。
たかが金魚。
お父さんやお母さんだって、虫を殺す。蚊とかゴキブリとか。パチンといとも簡単に。
それと同じでいいじゃないか。僕が殺してしまったのは、たかが金魚だ。それも、殺そうと思ってやったんじゃない。ミスだ。
そう思っているのに、金太の花が大きくなるにつれて、僕は苦しくなっていった。金太の花が咲くのが、怖くてたまらない。
気がつけば、神社の前にいた。そういえば、明日がお祭りだ。
広い参道には、木の枝を刈る人やそうじをする人、屋台を組み立てる人など、準備をしている人がたくさんいた。
僕は去年、ここで金太と出会った。
行くあてがあるわけではなかったけれど、とぼとぼと参道を進んだ。まだ何屋なのか分からないむき出しの屋台が、いくつも並ぶ。明日に向けて、神社全体がわくわくと活気づいているような気がして、僕はうつむきがちに歩いた。
木の幹に、大きな水色の水槽が立てかけてあるのが見えた。
あれは、金魚すくいの水槽だ。
僕は足を止めた。それから、ゆっくり水槽へと近づいていく。
「おい、ぼうず。祭りは明日だぞ。」
屋台を組み立てているおじさんが、声をかけてきた。僕はそのまま水槽の前に座りこんだ。
「おいおい、いくら待っても、明日まで金魚は届かんぞ。のら猫に食われちまうからな。」
僕は、ゆっくりとおじさんに顔を向けた。
「ねえ、金魚屋さん。金魚は、猫に食われて死ぬのと人間に殺されるのと、どっちが不幸?」
おじさんは、「へ?」という顔をしたまま、僕をじっと見つめた。それから、持っていたドライバーを作りかけの屋台の上に置くと、小さないすを持ってきて、僕のとなりに腰かけた。
「そんな難しい質問、もう少し、くわしく聞かなきゃ分かんねえなあ。」
僕の顔をのぞきこむおじさんの目が優しくて、僕は金太のことをぽろりと話した。
ほんの少しのつもりだったのに、話し始めたら、心につっかえていたものが全部出るまで、止めることができなかった。
「ううん。」
おじさんは、頭をかきながら、ため息ともうなり声ともとれる声を出した。
「そうだなあ。おれはこれが仕事だし、下手すりゃ、一日何十ぴきも金魚を死なせてしまうこともある。」
けどなあ、と言いながら、おじさんはゆっくりと腕を組んだ。
「金魚に悪いなあとか、損したなあとかは思うけど、苦しいと思ったことはない。それは、金魚が、おれにとっては仕事道具だからだ。」
僕は、ひざをかかえたまま、おじさんの言葉を待った。
「おまえさんが苦しいのは、金太がおまえさんにとって友達だったからじゃないのかい?」
「友達?」
「そうだ。名前を付けて、話しかけて、仲良くしてたんじゃないのかい?」
それはそうだけど。でも、相手は金魚だ。
僕が口ごもっているとおじさんは続けた。
「たかが金魚でも、友達は友達だろ。金太という一ぴきの友達。友達を自分のミスで死なせてしまったんだ。そりゃ苦しくて当然だよ。」
ああそうか。
僕は金魚を死なせてしまったんじゃない。「金太」を死なせてしまったんだ。
「そういうときは、ああだこうだと理屈をこね回したりしないで、悲しい、くやしい、申し訳ないと泣いたらいいんだ。」
おじさんはそう言って、僕の頭をくしゃっとなでた。
そしたら、じわりと涙が出てきた。
「金太ごめん。」
小さくつぶやく。
「金太ごめんな。」
ずっと心の中でしか言えなかった言葉が、口から出てきた。口から出たからって、死んだ金太に届くわけじゃない。でも、口に出さなくちゃいけない言葉だったような気がして、僕は何度も金太に謝った。
家に帰ると、優介が水をやっていた。
「ちょっと貸して。」
僕も、金太の花に水をやる。
たとえ、金太の花が咲いて呪いの言葉を吐いたって、僕はきちんと受け止める。たかが金魚なんて言葉で、もう逃げたりはしない。
「おはな、さく?」
優介が、そばに寄ってきた。
「そうだな。咲くといいな。」
オレンジのつぼみが、そっとゆれた。
おぎなお紺
2023年、第1回「青いスピン」作品募集 入選。