「深夜0時に公園の裏の自動販売機の取り出し口に手を入れると、引きずりこまれるんだって。」
いちかちゃんが言う。ふたばちゃんとみつえちゃんと私は、「へえ。」と声をそろえる。その反応に満足したいちかちゃんは、いじわるそうな視線をのださんへ向ける。
「でも、うわさが本当かどうか、試さなきゃ分かんないよねえ。」
いちかちゃんが大げさにため息をつく。
「だれか試しに行ってくれないかなあ。」
「だれか」の部分をことさら強調して言う。ふたばちゃんとみつえちゃんと私は、ちらと視線を合わせる。
「のださんの家って公園からいちばん近いよね。」
ふたばちゃんが言う。
「のださん行ってきなよ。」
みつえちゃんが言う。
「そ、そうだよね。のださんなら怖いのも平気そうだし。」
私が言う。
のださんは何も言わずにじっとうつむいている。肩にかかる髪が顔をかくして、表情は見えない。
「じゃあ、決まりだね。」
いちかちゃんがパンッと手をたたく。
「ふたばちゃんたちもこう言っているんだし、のださん確認してきてよ。」
「......。」
「ねえ?」
「......夜中に外に出るなんて、無理だよ。」
髪の毛の間から、ぼそりとのださんが小さな声を出す。
「ええ?」
いちかちゃんが大きな声で聞き返す。
「......無理、夜に外出なんてできない。親に怒られる。」
「大丈夫だよ。見つからないようにこそっと出ていって、ささっと試して、またそっと帰ればいいんだよ。のださん、そんなことくらいできるでしょ?」
いちかちゃんがのださんの顔をのぞきこむようにして言う。のださんはさっと顔をそむけて、小さな声をしぼり出した。
「......分かった。」
「約束だからね!」
いちかちゃんはまた大きな声で言った。
それが金曜日のことだったから、私たちが次に顔を合わせたのは、土曜・日曜をはさんで、月曜日になってから。だから、私たちはすっかり例の自動販売機のことは忘れていた。
「おはよう。」
「おはよう。」
いちかちゃんの席の周りに、ふたばちゃんとみつえちゃんと私が集まる。いつもの朝。のださんがまだ来ない。けど、別にだれも気にしない。例の話をすっかり忘れているから。私たちは、わいわいと昨日更新された動画チャンネルの話で盛り上がっていた。
「おはよう!」
入り口から元気なあいさつが聞こえて、その瞬間、教室がざわめいた。何だろうと、私たちも振り返ると、あいさつの主はまっすぐこちらへ近づいてきた。
「おはよう!」
私たちの前に立ち止まって、のださんが大きな声で言った。はっきりと私たちを見ながら。私たちはぽかんとおどろいて、返事するのを忘れた。だって、いつもののださんなら、もっと聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声であいさつする。それで、いちかちゃんに「何て?」って聞き返される。
「お、は、よ、う!」
のださんがまたあいさつをして、ようやく私たちもわたわたと返事をした。
「お、おはよ......。」
「行ってきたよ。」
「え?」
「自動販売機。」
のださんがそう言ったときもまだ、私たちはだれも金曜日の話を思い出せずにきょとんとした。
「ちっ。」
たぶんいちばん近くにいた私にしか聞こえなかったと思うけど、のださんは確かに小さく舌打ちした。
「自動販売機、深夜0時に。行ってきた。」
「ああ。」
私たちは間の抜けた返事をした。本当に行ったんだ。
「いたよ。」
「えっ。」
「取り出し口に手を入れたら、中に変なのがいたよ。」
のださんは言い聞かせるみたいにゆっくり言った。
「え、何がいたの?」
「お化け?」
「一人で行ったの? 親に怒られなかった?」
ふたばちゃんとみつえちゃんと私は矢継ぎ早に質問した。親にだまってパジャマのままこっそり抜け出して公園まで行ったと、のださんが答えている途中で、いちかちゃんが吐き出すように言った。
「ばっかじゃないの。お化けなんて、いるわけないじゃん。」
いちかちゃんはすこぶる機嫌が悪そうだった。「そうだよね。」と私たちがあいづちを打つより先に、のださんが口を開いた。
「いちかちゃん、うそついたの?」
のださんのはっきりとした大きな声が教室にひびいた。それまで教室のあちこちでおしゃべりしていたクラスメートたちはしんと静まり返り、みんなが私たちの方を見た。
「いちかちゃんが、公園裏の自動販売機にお化けが出るから見に行けって言ったんだよね。だから、あたし夜中の0時に家を抜け出したのに、いちかちゃんうそついてたの?」
教室中に聞こえるように、のださんは声を張り上げる。
クラス中がちらちらとこちらを見て、ひそひそ何か言っている。いちかちゃんはさっと顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
別にもうどうでもいいけどと、のださんがつぶやいて自分の席に戻っていくのと同時に始業のチャイムが鳴って、先生が入ってきて、この話はそれきりになった。
次の休み時間から、いちかちゃんはのださんに話しかけなくなった。移動教室も声をかけずばらばらだったし、下校のときにも誘わなくなった。けれど、のださんは平気な顔で、休み時間は一人で本を読んでいたし、水曜日にはもう別のグループの子に宿題を教えていた。
それで、私たちのグループで、もともとのださんの役割だったのが、私に回ってきたのだ。
いちかちゃんは、絶対に答えられないような難しい質問や、ややこしい話は、必ず私に振るようになった。それで答えられなかったら、「ええ、そんなことも分からないの。」と大げさに言う。ふたばちゃんとみつえちゃんもいっしょになって笑う。二人だって答えられないくせに。
「ものまねしてよ。」って私だけに言う。やりたくないけど、また「空気読まない。」って言われたくないからやってみせると、「全然似てなあい! ねえ?」って大声で笑う。
私は早くももう限界だった。
だから、金曜日の放課後、先生に呼ばれたからとうそをついて、いちかちゃんたちを先に帰らせて、下校途中ののださんを一人で待ちぶせした。
「のださん!」
公民館のかげから声をかけると、のださんは少しおどろいた表情をした。けどすぐに落ち着いた声で返事した。
「何?」
「私たちのグループに戻っておいでよ。うそついたこと、もうだれも怒ってないからさ。」
「うそじゃないよ。」
のださんは答えた。
「でも......。」
お化けなんているわけない、うそに決まってる。そう言おうと思ったのに、声にならなかった。本当は私も疑っているからだ。――もしかして、って。
だって実際に、自動販売機に行った日からのださんはすっかり変わってしまった。それこそ、お化けに会うとか、不思議な体験でもしない限り、ありえないくらいに。
「......でも、のださんが戻ってきてくれないと、私が困るの......。」
何とか消え入りそうな声をしぼり出す。本当に、情けなさすぎて消えてしまいたい。
「何で?」と聞き返したのださんに、「さみしいからだよ。」とか平気で答えられるほど厚かましくはなれなかった。
私がだまりこんでいると、のださんはふうとため息をついた。あたしだっていやだよ、という思いが伝わってきた。怒って行ってしまうかと思ったけれど、のださんは私に向かって言った。
「じゃあ、いっしょに公園裏の自動販売機に行ってみる?」
「え?」
ぽかんとしていると、「いやなら別にいいけど。」と言うので、私はあわてて「行くよ! 行く、行く!」と返事した。例の自動販売機に行ったら、私も変われるだろうか。
土曜日の深夜0時に公園で待ち合わせした。
けど、そもそもどうやって夜中に家を抜け出すのかに頭をなやませた。何かあってもすぐに逃げられるように自転車で行くことにした。カチャンと開錠する音でばれないように、日中のうちに鍵を差しておいた。ふとんの中にぬいぐるみを身代わりに寝かせて、そっとベランダから抜け出した。
夜の街は昼間とは雰囲気がちがう。あちこちの家にはまだ明かりがともり、テレビの音なんかが聞こえてくるのに、街灯に照らされた道はなぜかいつもよりしんと静かな気がした。私は全速力でペダルをこいだ。
公園の入り口に着くと、すでにのださんが待っていた。
「ごめん、おそくなって。」
と、私が言い終える前に、「行こう。」と、のださんは公園の裏に向かって歩いていく。「こんな時間だし、さっさとやっちゃおう。」と言って、別に怒っているわけではなさそう。
公園の裏、白い光を放つ自動販売機。その一角だけが橙色の街灯に照らされて、薄暗い中でひときわ明るいのに、なぜかいっそう不気味な感じがする。
「ほ、ほんとにお化け出るの?」
「さあ。」
私がこんなに怖がっているというのに、のださんはつれない。きっとうそだからだ、そうだ、そうにちがいない。早く終わらせて帰ろう。
ポケットから小銭を取り出し、投入口に入れる。いつものミルクセーキのボタンに指をのばす。
「だめだよ。」
のださんが言った。ボタンを押す寸前でぴたりと指を止めて引っこめる。
「今、何考えてた? いつもと同じじゃ何も変わらないよ。」
のださんがじっとこちらを見つめながら言う。
「え、えっと、じゃあ、コーラとか?」
私が言うと、のださんがぶはっと笑った。
「すずきさんて、ちょっと変だよね。」
「えっ、のださんほどじゃないよ。」
そう返したら、また笑った。笑いやむと真面目な顔になり、のださんは言った。
「あたしはね、いちかちゃんからこんな言い方されるのは、これが最後になりますようにって、念じながらボタンを押したよ。そのためには絶交されてもいいって。」
すずきさんは? と、のださんはまっすぐにこちらを見つめる。
「私は......。」
のださんと同じだと言おうとして、やっぱり言い直した。
「私も今みたいな感じはいやだけど、でも。......私が転校してきてだれからも話しかけられなかったときに、いちばん最初に話しかけてくれたのがいちかちゃんだったの。いっしょに帰ろうよ、って。私、いちかちゃんに一度もいやだって伝えたことがないから、いちかちゃんは私がいやがっているって気づいていないのかもしれない。だから、まずは、はっきりいやだって言ってみる。」
そう言うと、のださんは小さく笑った。
「お人よしだね。」
「のださんほどじゃないよ。」
「あはは。自分でもそう思う。あたし、すずきさんからけっこうひどいこと言われたのにね。」
「......ごめん。」
「別にもういいよ。」
あまり期待されていなそうだったので、「次からは、ちゃんと気をつけるから!」と、にぎりこぶしを作って言うと、また笑われた。
こんなに笑うのださんは初めて見たかもしれない。そして、こんなにしゃべる私も、たぶん初めてだ。私たちはいつも、いちかちゃんを中心に会話していたから。
「グレープジュースだよ。」
「え?」
「押すのはグレープジュースのボタン。」
のださんが右端のボタンを指しながら言う。のださんが好きなやつだろうかと思いながら紫と白のストライプの缶を見つめていると、のださんも財布から小銭を取り出した。
「一人で行かせるのは心配だから、あたしもいっしょにボタンを押してあげる。」
と言う。
「えっ。やっぱり取り出し口に手を入れたら、どこかへ連れて行かれちゃうの?」
私がおどろくと、のださんはふふふと笑った。
でも、のださんがいっしょにいてくれるなら何だか大丈夫な気がする。私は今度こそ右端のボタンに向かって指をのばした。
香久山ゆみ
2023年、第1回「青いスピン」作品募集 入選。