毎日毎日飽きもせず、里沙と過ごす中二の夏休み。里沙の家は、同じ通りの五軒先。生まれたときからすでに友達。近所だから仲良しってわけじゃなくて、里沙といると、とにかく楽しい。人気のテーマパークと同じくらい、楽しくて大好き。
里沙はその夜、いつものようにやってきた。お風呂と晩ご飯を終えて、ママとクイズ番組を見ていたときだ。「お邪魔しまーす。」と、突然入ってきた里沙は、背中に大きなリュックを背負っていた。
「あら、里沙ちゃん、どうしたの?」
「おばさん、玄関の鍵、開いてたから閉めたよ。物騒だから気をつけてね。おじさん、シンガポールに赴任中なんでしょ。おばさん、しっかり留守を守らなきゃ。」
「ああ、そうね、ごめん。ありがとう。」
ママはおわびとお礼をいっしょに言いながら「ん?」って顔をした。
「ママったら、何で不法侵入者に謝ってるの。」
里沙は笑いながら、突然「シロナガスクジラ」、と言った。何? いきなり。
「テレビのクイズの答え、シロナガスクジラ。世界一大きいクジラ。」
勝手に入ってきて、勝手にクイズの答え言って、何、こいつって思うけど、それが里沙。めちゃくちゃ楽しい私の親友。
「おばさん、今日泊まっていい? 真子といっしょに流れ星を見るの。」
「かまわないけど、流れ星なんて、簡単に見られるの?」
「そこはほら、気合いだよ、気合い。」
里沙は、たまに泊まりに来る。夏休み限定で、両方の親が公認している。私は里沙といっしょに二階の部屋に行った。二階には大きなベランダがあって、テーブルと椅子を運んでランタンをともせば、ちょっとしたキャンプみたいな気分になる。里沙は大きなリュックのファスナーを開けて逆さにした。中から大量のお菓子が、どさっと落ちて、テーブルの上に山積みになった。
「何、これ。」
「家中のお菓子を持ってきた。真子といっしょに食べつくそうと思って。」
「すごーい。駄菓子屋開けるよ。」
「お父さんとお母さんが、毎日競うように買ってくるんだ。あたしが小学生の頃に好きだったお菓子ばっかり。幼稚園児じゃあるまいし、お菓子につられるとでも思っているのかね。本当にばかみたい。」
里沙が吐き捨てるように言った。
里沙の家は、ちょっと複雑。父親と母親は、完全に家庭内別居状態で、離婚協議の真っ最中。里沙の親権を争っているらしい。
「今日中に全部食べるよ。真子、じゃんじゃん食べて、ともに太ろう。」
「いやだよ。」って言いながら、里沙が開けたポテトチップスに手を伸ばす。
「あっ、クマのグミ、懐かしい。こっそり学校に持っていって食べたね。」
「小五の頃ね。あの頃は楽しかったな。」
「たった三年前だよ。年寄りくさいな。」
里沙が、ちょっと下を向いた。
「本当にさ、昔は良かったよ。お父さんとお母さん、仕事帰りにあたしが好きなお菓子を毎日買ってきてくれた。お留守番のご褒美だよって。やってることは今と同じでも、あのときはご機嫌取りじゃなくて、純粋な愛情だったよ。」
いつになく寂しそうな横顔に、ランタンの光がオレンジ色に映った。
「あっ、パンダのクッキー、これ好きなんだ。食べていい?」
里沙が顔を上げて笑った。
「やっぱり真子は最高だな。あたしがネガティブになると、絶対軌道修正してくれる。やば、危うく泣くところだった。」
午後八時を過ぎても気温は下がらない。連日の熱帯夜が終わる頃、パパは遠い国から帰ってくる。もしもパパとママ、どちらかを選べと言われたら、私は迷わずママを選ぶ。この町を離れたくない。里沙とずっと友達でいたい。里沙が少し溶けたアーモンドチョコを、いい音をさせてかじった。
「ねえ里沙、ちょっと限界近づいてきた。残りは明日にしない?」
「だめだよ。今日中に全部食べるの。」
里沙は、まるで決闘でもするような意気込みで、スナック菓子の袋を開けた。ペットボトルの麦茶が減って、お菓子の空袋が増えていく。
私たちは、夢中で食べた。小学生の頃、「一日一個ね。」と言われたお菓子を、夜のベランダで飽きるほど食べた。今日中に山のようなお菓子を全部食べなければいけない理由はさっぱり分からない。だけど里沙がそうしたいなら、私も付き合う。太っても、朝ご飯が食べられなくてもいい。よく分からないけど、親友だもん。
最後に残ったのは、たまごボーロだった。
「赤ちゃんのおやつだ。」
里沙は、袋を開けて、たまごボーロを一つ口に入れた。
「わあ、溶ける、溶ける。懐かしい。」
「一粒ずつ食べるの? 一気に五個ぐらいいかないと、味分かんないよ。」
「味わって食べなよ。最後なんだから。」
里沙に言われて、わしづかみにしたボーロを戻して、しかたなく一つずつ食べた。すぐに溶けて、音がしないたまごボーロを代わりばんこに口に入れながら、無言のままに空を見上げた。
「あっ。」
二人同時に、口をあんぐり開けた。
「流れ星だ。」
「気合い入れなくても、流れ星見えた。」
「願い事、した?」
「するひまないよ。」
「もう一回流れないかな。そうしたら、お願いするのに。」
「真子は何を願うの?」
「私の願いは、里沙と同じだよ。ずっと、里沙といっしょにいられますように。それが一番の願いだよ。」
流れ星でテンションが上がって、ふだんは照れて言えないようなことを口にした。里沙は、急にうつむいて「ごめん。」と言った。
「なになに、願い事、同じじゃなかった? そっか。里沙にはもっとほかに願うことがあるもんね。いや私もさあ、ちょっとはずいこと言ったなあって思った。忘れて。」
「ごめん、ちがう。」
里沙はいつになく神妙な顔をしている。なになに、またネガティブ思考?
「じゃあ、何のごめん? 三年生のとき、貸した漫画にジュースこぼしたこと? 去年、楽しみにしてた映画ドタキャンしたこと? あっ、幼稚園のとき、私のアイス食べちゃったこと?」
おどけてみたけど、里沙の表情は暗いままだ。
「ごめん、真子の願い、かなわない。ずっといっしょにいられない。あたし、引っ越すんだ。」
「あの家を出るってこと? 近所じゃなくなっても、中学はいっしょでしょ。」
里沙は小さく首を振った。
「長野のおばあちゃんと暮らすの。あたしは、お父さんとお母さんの、どちらも選ばないことにしたんだ。」
長野ってどこ? チャリで行ける? なんて、ばかみたいなことを言って笑わせようとしたけど、無理だった。
「あたしが望んだの。十八になるまで、長野で暮らすつもり。」
「いつ行くの?」
「明日、おばあちゃんが迎えに来る。」
「明日?」
「そう。だから今日は、最後の晩餐。」
里沙が無理して笑っているのが分かった。袋に残ったたまごボーロは二つ。最後の晩餐がたまごボーロだなんて、安くて笑える。
「きっと、星がきれいだね。」
泣きそうだから上を向いた。長野の星は、ここよりずっときれいなはず。同じ日本だし、夏休みには遊びに行ける。それなのに、あの星よりもずっとずっと遠く感じる。
「たまごボーロ、せーので食べよう。」
里沙が、最後のたまごボーロを私の手のひらに載せた。
「せーの。」
口に入れたら、あっというまに溶けた。最後は十分くらいかけて食べる、ペロペロキャンディがよかったな。私は、満腹になったおなかをさすった。少し涼しい風が吹いて、ランタンの光がお化けみたいに揺れた。夏の夜って、こんなに悲しかったっけ。
「ありがとう、真子。一人で食べてたら、たぶん泣いてた。」
里沙はきっと、父親と母親が買ってきたお菓子を、全部平等に食べてしまいたかったんだ。どちらかを選ぶなんてできないから。里沙らしい決断を、応援しようと私は思う。
「よし、じゃあ、あたし、歯磨きしてくる。」
里沙が立ち上がった。全く、自分の家かよ、ずうずうしいな。そう思いながら、大好きな里沙を見送った。
もうすぐ夏休みが終わる。明日から、どうしよう。里沙がいない毎日を、どうやって過ごそう。
ベランダで見上げた空に、たまごボーロみたいな月が出ていた。私は、里沙と食べたたまごボーロの味を、一生忘れない。いつのまにか歯磨きを終えた里沙が、隣に並んで月を見上げた。
「クイズです。あたしの好きな食べ物は?」
「たまごボーロ。」
「ピンポン。大正解!」
伊東葎花
2024年、第2回「青いスピン」作品募集 佳作。