捨てられた菓子パンの袋がつむじ風に乗ってくるくる舞っていたこと。プールの授業で使ったビート板に誰かの歯形があったこと。自動販売機の光に吸い寄せられた一匹の虫のこと。亡くなってしまった飼い犬の首輪をこっそりと嗅いでみたこと。友達や先生や親に話すほどでもないけれど、だからこそ自分の心に残っている小さな風景や感情。僕はそういうものを思い出しながら短歌にするのが好きで、例えば、
つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる
永遠に補修をされることがないビート板には誰かの歯形
自販機のひかりまみれのカゲロウが喉の渇きを癒せずにいる
生きていたころの夏毛が絡まったままの首輪をおもいきり嗅ぐ
こんなふうな五・七・五・七・七にしています。短歌というのは五・七・五・七・七のリズムで読める短い詩だと僕は思っています。ルールは五・七・五・七・七であること。たったこれだけです。「保健室」(ほ・け・ん・し・つ)は五。「小学校」(しょ・う・が・っ・こ・う)は六。「ファミリーマート」(ふぁ・み・り・い・ま・あ・と)は七、というふうに文字ではなく音で数えます。声に出して指を折りながら数えると分かりやすいかもしれません。「先生」(せ・ん・せ・い)は四ですが、「先生の」とか「先生が」にすると五になります。
僕はふだん五・七・五・七・七で何かを考えたり、しゃべったりしているわけではありません。この文章を読んでくれているあなたもきっとそうでしょう。ではなぜ、わざわざ五・七・五・七・七にしようとするのでしょうか。僕は二つの理由があるように思います。一つは捕まえるためです。あなたも僕も毎日生きていて、生きていればたくさんの物事が僕たちを通り過ぎていきます。その物事の中には、確かに自分の心を揺らしたのに、数年後には覚えていないこともあるでしょう。心の揺れが小さければ小さいほど消えてしまいやすいと思います。せっかく揺れたのにもったいないですよね。そんなとき、ふだんとは違う五・七・五・七・七の網を持っていれば、そういう揺れを捕まえることができるのです。思い出を振り返って、その網で捕まえに行くこともできます。大人になったら、菓子パンの袋に、ビート板の歯形に心は揺れないかもしれない。今のあなただからこそ揺れた。そんな物事を捕まえることができるように思います。そして、短歌にしておけば、あなたが忘れても、その短歌が覚えていてくれます。
もう一つの理由はやさしくあり続けるためです。もしもあなたが短歌を作るなら、頭や心の中にある風景や感情を五・七・五・七・七に収めるために、言葉を選んでみたり、書く順番を入れ替えてみたり、ここは書いて、ここは書かなくてもいいかな、と考えてみたりするでしょう。普通にしゃべるよりも時間がかかると思います。でもそれはそのまま自分に向き合う時間でもあるのです。授業も部活も宿題もたいへんで、楽しみな遊びの約束やテレビ番組や動画も待っている。あなたの周りに、あなたの外側にいろんなものがあふれている。そんな中で、短歌を作ることを通して自分の内側を見つめてみる時間は、自分を大切にすることにもつながります。そして、自分を大切にできれば、友達や先生や親にもやさしくなれる。きっとあなたはやさしいでしょうけれど、自分の言葉や心の揺れに向き合うことで、これからも自分や他人にやさしいあなたでいられるはずです。
読み終えてややふっくらとした本にあなたの日々が挟まれている
これから何十年と続くあなたの人生に、短歌というしおりを挟んでくれたら歌人として僕はうれしいです。短歌の未来にいるのは、僕ではなく、間違いなくあなたですから。美しいこと、かっこいいこと、友達や先生や親にほめられそうなことばかり書かなくても大丈夫。難しい言葉や学校で習った短歌っぽい言葉を使わなくてもいい。今のあなたの心にある小さな揺れを、今のあなたの言葉で捕まえてみてください。もしそれが短歌になったら、ぜひ僕に読ませてください。いつまでも楽しみにお待ちしております。
イラスト・落合晴香
木下龍也
歌人。歌集に「あなたのための短歌集」「オールアラウンドユー」などがある。