私の仕事は「日記」です。
「えっ?」って思いませんか。日記って、毎日を記録するものですよね。それが仕事になるなんて。
小中学生も、社会人も、さまざまな職業の人がそれぞれの立場から日記を書きます。日記を書くことが仕事になってしまったら、その人は日記に、日記を書いたことを書くんでしょうか。それってつまらなさそうですね。
私はもともとは会社に勤めていました。毎日、日記を書いてインターネットで公開していたら、ありがたいことに興味を持って読んでくださるかたが現れて、本にしませんかということになって、さらにたくさんのかたのもとへ届いて、そうしたら今度は、日記の書き方をしゃべってみませんか、教えてみませんかと依頼が舞い込むようになって、しゃあしゃあと行って話し、その間も日記を書いて、売って、そのうち会社を辞めました。今では日記だけではなくエッセーもたくさん書かせてもらって暮らしていますが、やっぱり、得意なのは日記です。そんな人がいるの、ちょっとおもしろくないですか。
日記には「日記を書いたこと」は書きません。そこらで見たことや聞いたことを書くのが好きです。
昨日の日記には、夕方の五時に自宅の周辺を歩いていたときのことを書きました。防災無線から音楽が鳴るのを聞いた人が、となりの人に「これ、この街の五時のチャイム。」と言ったんです。「へえ、なんか変わってるね、『夕焼け小焼け』じゃないんだね。」「そう、『夕焼け小焼け』じゃないんだよね。」私の街の五時のチャイムは、ほかの地域では聞かない独自のメロディーなんです。
みなさんは、日記が宿題に出たことはありますか。何を書きましたか。きっとおもしろいだろうなと思います。日記の書き方を話しに行くと、会場に来るかたにぜひ日記を見せてくださいとお願いしています。どのかたの日記も、とてもいいなあと思います。その人だけの暮らし、本当だったら誰も知りえないはずのことが書いてあります。
こうすればもっと伝わるかもしれないなと思うことがごくまれにあります。それは「楽しかった」「うれしかった」「悲しかった」と書いてあったときです。
私はちょっといじわるだから、「本当かな?」って思っちゃうんですよね。
五時のチャイムの二人の会話を聞いて、私は自分がどう思ったか、感情を言葉で確かに書き留めるのは難しいと感じます。愉快だったのかな、誇らしかったのかな、うれしかったのかな。でも、無理して気持ちを書かずに、ただ街の五時の合図を誰かが誰かに紹介して、私も改めて、ああこの街のチャイムは独特だなあと確認した、それだけ書いてあれば事柄からあふれる手ざわりを説明しなくても自分で感じられるし、読んだ人にも伝わるんじゃないかと思うんです。
そこで何があったのかをよく見て、聞いて、そうして書いてみる。すると、日記はもっと、自分に近しく、そしてきっと誰かに届くようになります。書いたことで、もしかしたら実は「楽しかった」「うれしかった」「悲しかった」じゃない別の感情がそこに隠れていたことに気がつくことも、よくあります。
でも、実は私、みなさんにはあんまり日記が上手になってほしくないんです。ライバルがこれ以上増えたら、困ります。
絵・竹井晴日
古賀及子
エッセイスト。著書に「ちょっと踊ったりすぐにかけだす」「おくれ毛で風を切れ」などがある。