車が一台通れるほどの狭い路地に、人が一人通れるほどの細い路地。
小学校低学年の頃、私は迷路のような道を歩くのが好きだった。放課後になると、友達と三人で探検ごっこをして遊んだ。
だけど、中学校に入ってからは、自転車通学になったので、よく遊んだ路地に行くこともなくなっていた。
今日は部活もない日曜日。小学校から仲が良かった椿夕紗ちゃんが、いっしょにバレンタインのチョコを作ろうと誘ってくれた。
今年のバレンタインに、夕紗ちゃんは、ずっと片思いしている彼に思い切ってチョコを渡すらしい。そう決めてから夕紗ちゃんは、「断られたらどうしよう。」「オーケーもらえたらめっちゃうれしい。」と、気持ちが上がったり下がったり、ジェットコースターのようだ。私は、夕紗ちゃんの話を聞き、エールを送った。
夕紗ちゃんは、「がんばれ。」と言う私を見て、にやりとした。
「ひとごとのように応援しないでよ。沙希だって渡しなよ。」
「いやいやいや。無理だから。」
急に脇役から主役に引っ張り出されそうになって、突っぱねた。
私は脇役でいい。主役にはなりたくない。大きな幅の広い幹線道路よりも、細い路地のほうがいい。
そんなことを思い出しながら、入り組んだ路地を歩く。薄暗いし、生け垣があって窮屈だけど、大通りを自転車で行くより、路地を抜けるほうが近道なのだ。
夕紗ちゃんが、私にチョコを「渡しなよ。」と言う相手は、三人で遊んでいたうちの一人で、名前を和久隆一という。とはいえ、近頃では、部活も違うし、クラスも違う。顔を合わすことすらないときだってある。それでも、会ったときは、それなりに話をする。
気軽に話せる数少ない男子だからこそ、チョコを渡して、その関係が壊れるよりも、告白しないでそのままの関係でいるほうがいい。
まあ、夕紗ちゃんとのチョコ作りは楽しそうだし、作って和久に渡すときは「義理チョコ」ということにしよう。
歩いていると、ばったり和久と出くわした。
和久は「あ。」という顔をして立ち止まった。きっと、私も和久と同じような顔をしているに違いない。
「どうしたの?」
「いや、おれんちの猫が逃げ出してさ、探してんの。山田、見なかったか?」
「見てないよ。」
「そっか。」
眉尻が下がり、がっかりしている。
「名前......。確かキジトラのトラだっけ?」
「よく覚えてんな。」
猫と和久の関係は切っても切れない。私が和久をいいなと思うようになったのも、和久が必死にトラを守ろうとしていた姿を見たからだし。
「和久は猫好きだもんね。いっしょに探そうか?」
ふと口をついて出た。
「ここを通ってるってことは椿の家に行くんじゃねーの?」
「連絡するし。ちょっとだけ遅れてく。」
「探してくれんのはうれしいけど、約束してるんなら、そっち優先しろよ。」
「分かった。じゃあ、見かけたら連絡するね。」
「おう。」
すれ違いざまに見る和久の顔が、見上げる高さにあることに、どきっとする。
トラが子猫だったとき、ほかの怖そうな猫を必死に追い払っていた、背の低い和久じゃない。
振り向くと、──狭く入り組んだ路地だ。和久の姿はもうなかった。
夕紗ちゃんの家は、次の十字路を左に曲がり、まっすぐ行った先だ。
和久はもう探した道かもしれないけれど、それでも気になって塀の上、屋根の上、庭先を見渡しながら進む。
リン リン
かすかに鈴の音がした。
音がした方を見ると、よその家の庭先に赤い首輪をしたキジトラがいた。キジトラは警戒しているのか、頭を低くして上目遣いに私を見た。
子猫のとき見ただけだから、目の前の猫が和久のトラなのか分からない。
希望を込めて、「トラ。」と呼んでみた。
すると、耳がぴくっと動いた。下がっていたしっぽが左右にくねる。
目を離すと、どこかへ行ってしまいそうな気がした。視線はそのままで、脅かさないようにゆっくりと背負っていたリュックからスマホを取り出す。
「トラ、赤い首輪つけてる? 夕紗ちゃんの家の裏の道にいる。」
素速くメッセージを打つ。
もう一度「トラ。」と呼ぶと、私に「興味がありませんよ。」とでも言うように、そっぽを向いて座った。
スマホをちらっと見ると、既読はついていた。でも、返事が来ない。違うのかな。でも、呼んだら座ったし。もうちょっとだけ待とう。
そこへ、「トラ。」と呼ぶ声がした。
足音がしなかったから、びっくりして振り返った。
和久が立っていた。目線は、私じゃなくて、トラに。
見つけたのは私なのに、と猫にジェラシーを感じてしまった。
それも和久らしいけれど。
ミャオン。
猫にも気持ちがあるのだと分かるぐらい、うれしそうな声で鳴いた。
私の横を通り過ぎて、和久の足もとにまとわりついている。
「ありがとな。」
「たまたまだから。」
気持ちよさそうになでられているトラを見ていると、自分もなでたくなってきた。
「さわっていい。逃げない?」
「これだけ、ぐたっとリラックスしてるから大丈夫じゃね。」
しゃがみ込んで背中をこわごわさわった。
見た目は毛が硬そうなのに、さわってみると思っていたよりやわらかい。ふわふわしている。
さわり心地を楽しんでいると和久が言った。
「山田。椿んとこ、行かなくていいのか。」
「あ、そうだ。チョコ作りに行かなきゃ......って。」
はっと顔を上げると、和久と目が合った。
「チョコ?」
「いや、その。あの......。」
ここで、たとえ義理チョコであっても目の前にいる相手に渡すチョコを作りますとも言えないし、うそついて家族にあげるチョコを作るとでも言えばいいけど、やっぱりうそは言いたくない。どう言おうかと迷ってしまい、しどろもどろになってしまった。
「確か、バレンタインに、男性から女性に贈り物をする国もあるんだよな。トラを見つけてくれたお礼に、おれから山田にチョコを贈る。」
「え、でも、見つけただけだし。」
「見つけてくんなきゃ、一晩二晩帰ってこないって心配し続けなきゃならないじゃん。」
さわやかな笑みを向けられ、チョコをあげるという行為に、和久は「お礼」以外の特別な感情を持っていないように思えた。
「友チョコってことだよね。じゃあ、私からも和久に渡すね。」
「友チョコじゃないけど。」
「お礼?」
「本命。」
「......!」
「山田は、作ったチョコ、誰かに渡すんだよな?」
こんなに鼓動が速いのは、全速力で走った後ぐらいだ。
これって、どうしたらいいの?
不意打ちの告白に言葉が出ずに息が詰まる。
和久はすくっと立ち上がり、「じゃあ!」とだけ言ってその場を離れようとした。
空気が冷たいのに、顔は熱い。返事。返事しなきゃ。
「うまく作れたら。」
精いっぱいの勇気を出して立ち上がって言った。
和久がどんな顔をしていたのか知らない。もう、どぎまぎして彼の顔を見ることができなかった。
夕紗ちゃんの家に行くと、遅かったねと言われた。そして、私の顔を見て何かあったと悟った夕紗ちゃんは、私の頭をぐりぐりとかき回した。
チョコは無事に作れた。
作りながら、夕紗ちゃんにさっきの出来事を話していると、気がついた。
和久は、誰に渡すのか聞いたはずなのに、私は「うまく作れたら。」と返事をした。和久からすれば、これでは誰に渡すのか分からないのではないか。
自分じゃない誰かに渡すと思っているかもしれない。
「どうしよう。」
と思うけど、さっきの和久の告白を聞いた後じゃ、どきどきしすぎてうまくしゃべる自信がなかった。
二月十四日、バレンタインデー。
夕方、空がオレンジ色から紺色へと移りゆく中を、自転車をこぎ、家に帰った。
本命チョコを持って、和久が来ると思うと、鼓動が速くなっていく。
待っているだけでも緊張するのに、「本命」だと言った和久はどれほどだったか。チョコを買うのだって勇気が要ったはずだ。
なのに、私は待っているだけ? 本当にいいの?
私は、スマホを手に取り、入れ違いにならないよう「行くから待ってて。」とメッセージを打ち込む。
すぐに既読がついた。
「分かった。」と和久からメッセージが来たのと同時に家を出た。もちろんチョコを渡しに。あのときできなかった、返事をするために。
薄暗い、勝手知ったる路地を歩く。
杉成恵佳
2024年、第2回「青いスピン」作品募集 入選。